『ほんとうの中国の話をしよう』 読書にあった時期の話
ある母親が言っていた話。
「子どもに性的な描写のある漫画を読ませたくないのに、最近の漫画は油断すると性描写がある。」
だから、漫画は読ませないのだそうだ。
子どもの年齢によっては至極もっともな意見だ。
教育方針として間違ってないのだろうと思う。
ただ、気になって、「じゃあ、お子さんには何を読ませているんですか?」と尋ねてみた。
その母親は「夏目漱石とかを読ませている。」とのことだった。
むしろ、その教育方針の方がまずいのではないかと思った。
なんとなく無理やり読ませている気がしたから。
そして、この本のエピソードを思い出した。
小説家の余華(ユイ・ホア)の書いたこの本は、中国では発禁処分だそうだ。
中国を「人民」「革命」「領袖」といったキーワードからシニカルに描き出す。
キーワードの一つが、中国が生んだ大作家「魯迅」である。
文化大革命の嵐の中でも、唯一「先生」という敬称付きで呼ばれた作家である。
余華が育った文化大革命時代には国語の教科書が魯迅の小説ばかりだったそうだ。
子ども達は徹底的に魯迅を詰め込まれた。
子ども同士でも口喧嘩に魯迅の言葉を引用して相手を黙らせようとした。
魯迅の言葉は誰も否定できない権威だったからだ。
このような固さや強制からか、余華は、魯迅をあまり評価していなかった。
古臭い過去の遺物という見方は、文化大革命が終わってからも抱いていたようだ。
ところが、余華が、仕事で魯迅の本を読まなくてはならなくなり、状況は一変する。
読んだその日の内に、余華の魯迅への評価は一変する。
「本には読むべき時期がある」
大人向けの本、子ども向けの本というのはあるのだろうが、本がその人に感動を与えるのは、ある然るべき一時期なのだ。
そして、それは誰かに読むように言われて読むものではなく、出会うことが重要なのだとも思う。
冒頭の母親の子どもが夏目漱石の作品を好きになればいいなあと思う。