全国戦没者追悼式の発言雑感ーー戦争、戦没者、戦後への思い

 8月15日の正午はどんなに眠くても必ず起きることにしている。

 全国戦没者追悼式をNHKで見ながら、黙祷をするためである。

 この日は、社会人になる前は夏休みだったし、社会人になってからもお盆を休める職に就けたことはとても良かったと思う。

 

 小学校の頃から、家族はみんなこの日に黙祷をしていた。

 祖母は兄を南方で失っているし、祖父も南方に出征し間一髪で戦死を免れた。

 祖父方の親族はアメリカに移民していたため、戦中は日系人の収容施設にいた。

 そういったこともあり、戦争の記憶というものが比較的伝承されたのではないかと思っている。

 そして、まるで親族や祖父の戦友のお墓詣りをするかのような気持ちで、

 毎年この日を迎えているのである。

 

 特に今年は、感慨深い追悼式だった。

 平成最後の追悼式、すなわち戦争を知らない新たな時代から*1、次の新たな時代への過渡期となる節目の追悼式だったからだ。*2

 

 いい機会なので、安倍総理大臣の式辞と天皇陛下の御言葉について少し雑感を書き残しておきたい。

 

 まず、安倍首相の式辞から。

 

 (前略)

 苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れた御霊、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなった御霊、いまその御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

 今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。

(中略)

 戦後、我が国は、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。

 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに、不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。

(後略)

 

 全文は首相官邸ホームページで公開されている。

平成30年8月15日 平成三十年 全国戦没者追悼式式辞 | 平成30年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

 動画も見られる。(首相のネクタイが右に曲がっているのが気になった。)

 

 「戦争」に対する評価は「苛烈を極めた」「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。」というもので、わりと一般常識にそった評価ではある。

 

 「戦後」に対する評価は「戦後、我が国は、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。」と甘めの評価である。

 まあ、良いことは無理せず、悪いことはせずに、後ろ指を指されない程度に頑張りました、というのがせいぜいではないかと思う。

 そんなことは言えないだろうが。

 

 次に、中でも読解が分かれそうな「戦没者」に対する評価である。

 「今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。」

 戦没者は、「今日の平和と繁栄」を築くための「尊い犠牲」だから、「敬」い「感謝」します。

 

 この文の意味を考えてみる。

 

 1つは、戦没者が死んでくれたから、平和で繁栄した今の日本があります、という読み方。

 この文だけ見れば、まずこう読むのが自然に感じる。

 しかし、意味不明である。

 死んだから平和ですなどと言ったら、「死んでくれてよかった」という風にも聞こえかねない。

 まるで、殺人犯が死刑にされた時の感想である。

 

 この発言が戦勝国の発言で、国家に益をもたらしたというのであれば、まだわかる。*3

 しかし、そんなわけもない。

 戦没者は死ぬ(ことを余儀なくされた)ことによって、国中に悲しみと損失をもたらしたからだ。

 そもそも、日本はまぎれもない敗戦国である。

 

 もう少し周辺の文脈もあわせると、戦没者が亡くなったことをきっかけに、私たちは反省して平和な国を築きました、という読み方も考えられる。

 「きっかけになってくれてありがとう。」

 もしそうだとすれば、良識を疑う発言である。

 戦没者が戦死したのは、国が戦場へ追いやったからである。

 

 不良・DQN・いじめっ子で考えればわかる。

 クラスメートを自殺に追いやったいじめっ子DQNが大人になって、

 そのクラスメートの墓前で「お前が死んでくれて、俺は生まれ変わったよ。」などと曲がったネクタイで発言しているところを想像してみよ。

 まずは「反省しています。申し訳ありませんでした。」が大事ではないか?

 

 アジア諸国に対する反省云々は今回一切触れられていないとマスコミは騒ぐが、

 そのことは議論の余地があるとして、自国の戦没者に対する態度としてもどうなのか。

 

 安倍首相の発言からは戦争の当事者であった歴史の継承者であるという、そして戦没者を追悼するという当事者意識が欠如しているように思える。

 

 対照的なのが天皇陛下のおことばである。

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に73年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。 

 こちらも宮内庁のHPに全文公開されている。

 主な式典におけるおことば(平成30年):天皇陛下のおことば - 宮内庁

 

 「戦争」に対しては「苦難に満ちた往時」「戦争の惨禍」という言葉で、首相とあまり変わらない。むしろ首相よりも抑えた表現になっている。

 

 「戦後」については「終戦以来既に73年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」として、平和と繁栄を築いたのが「終戦」後に生き残っていた「国民」であることを明確にしている。

 言い方を変えると、「平和と繁栄」と「戦没者」を首相のように結び付けていない。

 

 そこで「戦没者」についてみると、謝罪の言葉こそないものの、反省があちこちに散りばめられている。

 「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。」

 「苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。」

 「ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し」

 過去を思っている、省みている、反省していることを示す文がこれだけある。

 

 戦没者からすれば「謝れよ。」と思うこともあるのだろうが、

 安倍首相の式辞よりも戦争の当事者であったことが強く意識されており、

 「平和な世の中になっても、あなた方を忘れていませんよ」という追悼の気持ちが如実に出ているように思える。

 

 さて、来年は新たな天皇を迎える。

 戦後に生まれた新たな天皇の発言がどうなるかが気になる。

 はたして皇位とともに戦争の当事者性も継承していただけるのだろうか?

 

 思えば8月15日に黙祷をささげながら、蝉の声を聞かなかった年はない。

 年月は流れて行っても、同じ夏が来るのを感じる。

 

 

*1:もちろん正確には日本本土が戦争に巻き込まれなかっただけで、日本が関与した戦争はやまほどあるわけだが。

*2:このように書くと、元号制を中心にした天皇史観だと言われそうだし、それを否定しないが、やはり元号制の中に生きている以上、節目を感じ、特別な思いを抱くことは別段悪いことではないだろう。

*3:もちろん理解はできるが、許し難い発言にかわりはない。