『「毒親」の正体ーー精神科医の診察室から」

    母の日の翌日に上げる本ではないかもしれない。

    中々ヘヴィーな本である。

 

    地獄へと続く道は、善意で敷き詰められている。

    そういったのはカエサルだったか、レーニンだったか忘れたが、この本を読んでいる途中で思い出した。

 

    

 

     毒親ーー子育てにある種の問題を抱えている親、を精神科医の立場から分類し、毒親と付き合う上での、あるいは、人生を取り戻すステップが書かれている。

     その意味で、毒親に苦しんでいる人に向けて書かれている本だ。

     ただ、幸いなことに、自分の親が毒親ではないため、本当に苦しんでいる人に納得感を与えられるかは知る限りではない。

     しかし、そういう本になっていたら、とても価値のある本だろう。

 

     毒親向けの章もあり、ーーだからといって、本当の毒親がこの本を手に取るかは疑問だがーーその意味でも参考になる。

 

     法律相談でも、子どもをスポイルしてしまいそうな親の相談をよく受ける。

     何しろ彼らは良かれと思っているのだ。

     良いことだと思っているから、それは悪い結果になる可能性を見ようとしない。

     カエサルの言葉だったが、「人は見たいと思う事実しか見えない」とはまさに至言である。

深澤 諭史『Q&A 弁護士業務広告の落とし穴』

 弁護士も広告を出す時代になった。

 過払い金請求が流行しはじめた頃から、大手の事務所が広告を出し始めた。

 ビラやCMなどの分かりやすいものから、インターネットサイトまで。

 これらの広告は弁護士の業務を拡大させたとともに、

 弁護士を利用したい人達に情報を与えたという評価が可能だろう。

 

 他方で、弁護士業の広告が消費者を惑わせるものであってはならない。

 そこを遵守できなかったのがアディーレ法律事務所の事件だ。

 

 また、弁護士の品位を保つものである必要もある。

 一般消費者にいわせれば、食えないプライドでものを言っているようにも聞こえるだろう。

 しかし、根拠もない自慢話を載せたり、いい加減な話で期待感を持たせてはならないのは当然のことだ。

 

 そのために、例えば「労働法専門です」とか「どんな事件でも受任します!」などという表現は慎まねばならないのだ。

 そこら辺の事情を分かりやすく書いているのが、こちらの本。 

Q&A 弁護士業務広告の落とし穴

Q&A 弁護士業務広告の落とし穴

 

 

 

 この慎むという行為こそ、品位の本質だと思う。

 言わない方がよいこと、やらない方がよいことをきちんと判断して、せずにいられる人は品位を保つ人なのだろうと思う。

 品位は「保つ」というが、品位は存在することが前提で、それを維持することに注意が向けられているように思う。

 余計なことをして、品位を害することをしない、というあり方こそが望ましい。

 

 そういうものなのだろうなと思う。

 中々に弁護士の品位とは難しいものではあるが。

 

卓球と今後の日朝関係

 ゴールデンウィーク中に象徴的な事件が起きた。

 

 世界卓球の準々決勝戦で対決するはずだった北朝鮮と韓国が、突如として南北合同チームを結成し、不戦敗、準決勝進出というニュースである。

 その後の準決勝は、日本との対決で、日本が南北合同チームを制し、勝利。

 挙句に、日本は決勝戦の中国に敗北し、銀メダル。

 

 同じ頃、朝鮮半島の南北が統一した場合に、超強硬な反日国家が形成されるという予想が出た。

 

 仮に、日本と南北統一国家が経済・政治・軍事のあらゆる面で衝突しても、統一による足並みの問題で日本が勝てるだろう。

 東西ドイツも足並みをそろえるのに相当な努力と年月が必要だった。

 

 そこで、後ろ盾になるのは、アメリカではなく、中国なのだろう。

 どことなく、そんな予感を運んでくるニュースだった。

『民を殺す国・日本』 日本の無責任さ

 フクシマの事故の反省なくして、原発の再稼働はあり得ない。

 それは極めて当然の主張だと思う。

 事故が何故起きたのか解明されていないということは、また同じような地震で、同じように原発が事故を起こす可能性があるということだからだ。

 事故の広範性、深刻性を思うとき、反省もなく「想定外でした」はあまりに無責任だ。

 

 なぜ、ここまで反省しないのか。

 そして、幾ばくかの反省さえも活かそうとしないのか。

 それは、我が国全体が「構造的な無責任」を抱えているからだ。

 そう説く本を読んだ。

 

  足尾銅山鉱毒事件から、満州侵攻、フクシマへと至る近代日本が抱える欠点をよくあぶり出している。

 無責任さ。

 必死の訴えも、ノイズとして処理する無慈悲さ。

 それらに通底する、思考のなさ。

 

 それへの対抗策が共有された社会資源の確保というのは、中々に魅力的だが、実現は社会の構造を変えないと不可能だ。

 他者がいなければ満足に自由に生きていけないという事実を目に見える形で人々に示さなければならないだろうと思う。

 

『原子力規制委員会――独立・中立という幻想』

  福島の事故から早いもので7年が過ぎた。

 しかし、原発原子力に対する反省は未だ十分ではない。

 

 国家権力というのは、かくも反省しないのだというニュースばかりだ。

 

原子力規制委員会――独立・中立という幻想 (岩波新書)

原子力規制委員会――独立・中立という幻想 (岩波新書)

 

  この本は、原発の規制を担う原子力規制委員会の体たらくを丁寧に書いている。

 

 まず、フクシマに至る無反省・無為無策の歴史を明らかにした。

 そして、原子力規制委員会だって同じだということを明言している。

 公正中立な規制を実現するのであれば、利害関係のない人間に任せなければならないはずだが、

 原子力規制委員会は、 電力会社やその間連団体の人間や、そこから金をもらった人間が多数派になった、極めて偏向的な集団だ。

 

 なんの意味もない規制委員会で良しとしている国会も無為無策のそしりは免れない。

 それに上塗りするかのように、専門家の集団だからとその判断を無批判にありがたがる司法権の大部分の無思考振りには、驚きを禁じ得ない。

 

 私は原発もそれを良しとする電力会社も嫌いだ。

 

 

 

民事執行の冬

 冬が過ぎ、ようやく春かと思えば今は夏日。

 今年の冬は民事執行が多かった。

 

 特に動産執行。

 債務者の家に行って、売れそうな家財道具などを押さえた。

 それでも、売れることなんてほとんどない。

 そもそも売れる価値のある家財なんてほとんどない。

 売れそうでも差し押さえられなかったりする。

 差押禁止動産の種類が多岐にわたる。

 現金も66万円までは押さえられない。

 

 はっきり言って、借り得だ。

 踏み倒そうと思えば、容易に踏み倒せるのが、今の法律だ。

 

 民事執行制度の実効性が弱いのだ。

 債務者の預金があるかないかも、調べる術は皆無だ。

 家族の預金にしてしまえば、債務者の財産でもなくなる。

 

 誰もが容易に自分の権利を実現できないのであれば、誰が法律を信頼するのだろうか。

 相談者に「裁判で勝っても、回収の見込みはありません」というのは割りと辛い。

 

 マイナンバーで色々なものが紐づけられるのてあれば、財産調査にも活かしてほしい。

 人から金を借りて、返す気がない奴に、いっちょ前に財産権を主張する権限などない。

問題解決の面白い話

 読書猿先生が東洋経済オンラインに面白い記事を載せていた。

 問題解決の方法についてだ。

 

 https://toyokeizai.net/articles/-/204743?display=b

 

 子どもにギャンブルをやめさせるために、親が敢えて「週に2回ギャンブルを教えて! お金を払うから」と言うと、そのうち勝手にやめるというのが面白かった。

 

 どうもこの本に書かれてあるらしい。

 いずれ読んでみようと思う。

 

 

問題解決大全

問題解決大全

 

 

 似たような話を2つ聞いたことがある。

 

 1つは、toggeterで見た奴で、親がゲームばっかりする子供にゲームをやめさせる方法だ。

 その方法はうろおぼえだが、ゲームを行うことを逆に義務付けて、毎日、何時から何時まではゲームの時間。

 終わったあとにレポートの提出を課すとかそんなものだったと思う。

 

 もう1つは、昔読んだ祖母の本に書いてあった説話だ。

 お釈迦様に、ある男が怒りっぽい性格を直したいと相談する話だ。

 お釈迦様は「じゃあ怒ってみなさい。遠慮はいらないから。」なんて仰るんだけど、

 男はいざ怒れと言われると呆気に取られて怒る気にならない。

 そこでお釈迦様は、怒りたくなったときは、どうして怒ってるのかよく考えなさい、なんて諭したような気がする。

 もうよく覚えてないが、この本に書いてあった。

 

 

光に向かって100の花束

光に向かって100の花束

 

 

  結局、人はやらなければならないことになると途端につまらなくなるようだ。

 趣味を仕事にすることのヤバさも潜む有意義な話だったり