「ハナレイ・ベイ」村上春樹 息子の視点から。
ねえ、どうしてなの? そういうのってちょっとあんまりじゃないの、と。
村上春樹の短編小説の中でも、人気作の一つ、「ハナレイ・ベイ」のクライマックスシーンである。
『東京奇譚集』という短編集の中に収録されている。
ハワイでのサーフィン中にサメに殺された息子をめぐる母の物語だった。
これだけ書くと、暗い話に見えるが、村上春樹独特の淡々とした暗さで、まるで夜空の闇のようにも見えて、読後感は悪くない。
母親は息子が死んだハワイの島を訪れた際、不条理というか、道理に合わない出来事に出合い、悲しみ、泣く。
母親として息子に様々なことをし、息子のことをこれだけ大切に思っているのに、息子から裏切られたからである。
そこで冒頭で引用したクライマックスの独白に移る。
私の母親もこの作品を読んで、
「そうなのよ。男の子ってそういうところがあるのよね。」
などと私に向かって言っていた。
他人の愛情を知らずに行動してしまうことはよくある。
無償の愛情であればあるほど、自分に痛みが無いので、愛情を与えている側からすれば「知ってか知らずか」という行動になることは多い。
というより、こちらの方が原則なのだ。
他人の考えは理解できないのが原則だから。
私が母を多かれ少なかれ傷つけたとしても、別に私が「男の子」だからというわけでもあるまい。
それは私の想像が単に足りなかっただけだろう。
ひるがえって、自分がよかれと思ってしたことが伝わらないこともままある。
これも仕方がないことだ。
私の考えは理解されないのが原則だから。
「そういうのってちょっとあんまりじゃないの」
という思いを抱いたり、抱かせたりするケースは多い。
人間関係のゴタゴタの大部分はそれが原因なのだろうと思う。
おそらく裁判も戦争も。
この作品の主人公のように、自分の思いも相手の思いも受け入れることができれば、問題が発生することもないのだ。
そして、この作品を読むたびに、自分は母に受け入れられてきたのだなぁとしみじみと思うことが多い。
映画化するそうなので、母と観にいこうか。