『一九八四年[新訳版]』ディストピア観光ガイド

ジョージ・オーウェル『一九八四年[新訳版]』髙橋和久訳、早川書房、2009

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

 戦争は平和である。

 自由は隷従である。

 無知は強さである。

 

 「何を言っているんだ。」と思ったが、読み進めれば意味が分かる。

 

 あまりにも有名なディストピア小説である。

 ディストピアとは、ギリシャ語で「ディス(悪い)」と「トピア(場所)」を合せた単語だ。

 直訳すると「悪い場所」らしいが、「居心地の悪い場所」とか「住みたくない場所」と考えるとしっくりくる。

 

 『1984年』の世界観は、この居心地の悪さや、住みたくなさの雰囲気で満ちている。

 四六時中、人々を監視するためのテレスクリーン。

 あちこちに隠れている密告者・スパイ・潜入捜査員。

 拷問・処刑・そして戦争。

 

 作中の世界では、主人公のいるオセアニアがユーラシアとイースタシアという超大国と延々戦争している。

 あるときはユーラシアと同盟して、イースタシアと戦い、

 またあるときは、イースタシアと同盟して、ユーラシアと戦っている。

 しかも、ユーラシアと同盟しているときは、イースタシアと同盟していた事実が歴史から抹消される。

 その抹消は徹底的で、ありとあらゆる公文書、既に発行されている新聞等の何から何まで、全て改変される。

 主人公が行っている仕事もこの改変作業だ。

 

 その他にもこんな世界に住みたくないという詳細な設定は多々記載されている。

 

 歴史を改変するという作業は、都合の悪い事実を無かったことにするということだ。

 国家レベルでそういうことをすると、誰も国が悪いことをしたかどうかがわからなくなる。

 国を批判すべき場合でも、批判できないというのは、民主主義国家としてはあってはならない事態だ。

 

 日本も財務省で公文書の改竄があったし、自衛隊の日報もあるものが無いという話になったりで、笑えない。

 怒られるのを怖がる子どもの様な可愛さはない。

 批判を封じ込めようという姑息な雰囲気が今の社会にもあるんだろうなぁとは思う。